もう10年以上前に長崎大学を退職しました中西と申します。もうかなり高齢者になった年代でございます。

私は小さい頃から海岸植物が好きで、大学院に入ってからも海岸植物の生態の研究をずっと執り行っております。ハマボウも実は海岸植物の一種でありますので、珍しい海岸植物として関心を持っておりました。

その研究のきっかけになったのは、三重県の伊勢の南にある南勢町(今は南伊勢町と言いますが)、その五ヶ所川の河口に大きなハマボウの群落があるということを知りまして、そこを見に行こうとしました。かなり不便なところですので、名古屋から近鉄で終点まで行きまして、そこからレンタカーを借りたわけですが、ちょうど免許を取り立てでありまして、今のレンタカーのように小型車とか軽とかいろいろ種類がなくて1種類しかなくて、大きな結構かっこいい車をおずおず運転して、ここまで運転していきました。

外から見るともちろん大きく咲いていると分かるんですが、一番驚いたのは林の中に入りますと、このように大木がのしかかっているように、ハマボウ1種類の群落で、これがずっと一面に広がっているのを見て非常に驚きました。「こんな群落が日本にあるのか」「こういうことは誰も知らないはずだ」と思って、日本中のハマボウの群落をまとめようと思いました。

早速帰りまして文献を調べました。結構やっぱり珍しい植物ですので、古くから各地にいろいろな文献がありました。

これは一番古い文献なんですけれども、明治25年に「静岡県のハマボウ」という記事ですね。ここには伊豆と三保にあると書いてありまして、三保には2丈余りに達する大木があると書いてあります。1丈が3mぐらいですから6mぐらいの大木があると書いてあります。三保はあの例の三保の松原、三保半島で、その巴川側に大きな群落がたぶん昭和30年くらいまでは大部分あったんですけれども、そこも今はすっかり埋め立てられてしまって工場地帯になっております。

この泉川のハマボウは、若宮先生が糸島高校の生物の先生をしておられまして、その時に論文を書かれておりまして、こういろいろなことを知っておりまして、若宮先生に手紙を出してお送りいただきました。こちらの『糸島生物雑記』というところに「瑞梅寺川、泉川のハマボウ」として、ずっと何ページかにわたって詳細に書かれておりました。

早速私も実物を見たくて、ちょうど2月の雨の降る寒い日でしたけれども、広島に当時住んでおりましたので、筑前前原から歩いてここまで見に行きまして、「ああ、大きな群落だな」と思って感心しました。

そこで初めて1979年に「ハマボウ群落の分布生態」という論文を書きました。これによって「阿波徳島から神奈川県三浦半島までの河川の下流および河口付近や砂州、陸繋島の内湾側、入江の奥などの塩湿地に純林状の群落をつくる」ということで「ハマボウ群集」と命名しまして、熱帯・亜熱帯に発達するマングローブに相当する群落であるということで「半マングローブ」という言葉を使いました。今「半マングローブ」という言葉はよく使われるようになりましたが、日本人で最初にこれを言い出したのは私であります。「半マングローブ」という言葉を定着させてきました。

この中に「泉川のハマボウは九州最大の群落だ」と書きました。若宮先生非常に喜ばれましたけれども、後ほど他にも大きな群落があるということが分かりまして、一番大きな群落の一つだというふうに言えると思います。

ハマボウは割に短時間に大きな群落をつくるという、立地さえ適していれば立ちまち広がるという、そういう性質もあります。

これがその後、若宮先生と交流が始まりまして、1998年に泉川自然博物館ハマボウの里オープンのテープカットの時で、28年くらい前ですかね。私はまだ若い(笑)。これが若宮先生です。これがその時の記念撮影で、ここにおられる方も何人か映っていると思いますが、これが最初で、その後も多少お付き合いがあって何度かここに来たことがあります。

ちょっと前置きが長くなりましたけれども、本日のハマボウのお話は、ここにありますように「記載の歴史」「分類と分布生態」「繁殖生態」「地理的変異と個体群生態」「ハマボウを取り巻く生態系」「各種ハマボウの保全活動」についてお話しします。ちょっと真ん中あたりは難しい話になりますけれども、分からないところは飛ばして頭の中で飛ばしていただければと思います。

まず記載の歴史ですけれども、一番古い文献というのは『古事記』『日本書紀』ですけれども、ここにも植物の名前がありまして、大体それぞれ50種類ぐらいずつ植物が出てきます。それから有名な『万葉集』、これは植物がたくさん出ていることで有名ですけれども、160種の植物が登場しまして、それを集めた植物園「万葉植物園」があちこちにできております。『源氏物語』にも実は植物の名前が100種類ぐらい出てきまして、紫式部というのは植物の名前をよく知っていたということが分かります。

しかし、この奈良時代から鎌倉時代までの植物に出てくるものはみんな歴史や文学の中だけでありまして、単に名前が出てくるだけでありました。

ようやく江戸時代になって植物の専門書ができまして、それが本草書とか演芸書であります。本草書というのは中国から伝わった本草学、これは薬になる動植物・鉱物など自然物の研究ですが、その本を本草書と言います。この中にハマボウが初めて登場することになります。

江戸時代には園芸が非常に盛んでありまして、園芸書がたくさんできましたが、その中で一番有名なのは伊藤伊兵衛三世の『花壇地錦抄』という本であります。草花や庭木などの園芸植物を総合的に解説した本であります。その中に「木綿の類」という項目がありまして、「ハマボウ、花形木綿のごとし、色黄なり」と紹介されています。ハマボウと言わずに江戸の園芸では「ハマボウ」と言っていたみたいで、これは息子の伊藤伊兵衛竹島が出した『地錦抄附録』、ここも「ハマボウ」と書いて「木綿につづいて書く」と書いてありますので、江戸ではどうもハマボウが園芸植物となっていたようであります。

ハマボウのことを書いた最初の本草学者というのは、福岡の人で貝原益軒、黒田藩に仕えましたけれども、20代にどういうわけかクビになりまして、その後江戸に出たり京都に行ったり長崎に行ったりして本草学を勉強します。また帰ってきてから黒田藩に仕えるんですけれども、70歳を過ぎてから『養生訓』という有名な本を出しました。『花譜』とか『菜譜』とかいう植物の本ですけれども、これを書いておりまして、83歳の時に『大和本草』、これは植物が主なんですけれども動物・鉱物も書いてあります。1356種類がこの『大和本草』に出ております。

この中の巻12「木の類」に「ハマツバキ」と書いて、「初夏生ず。花黄にして黄蜀葵に似たり。葉はツバキに似て冬に落ちる。花は黄色となる」と。ハマボウと言わずに「ハマツバキ」と呼んでいたらしくて、このハマツバキという言葉は福岡あたりあるいは伊勢あたりでも使われている地域名で、今ほとんど使われなくなりましたけれども、昔最近まで地元の人はハマツバキと呼んでいたようであります。これが最初のハマボウの本草学者による記載でありまして、江戸の園芸の影響をまったく受けていないようです。

本草の学者で2番目の人は小野蘭山。この人は京都生まれで、小さい頃は身体が弱くて読書好きで、13歳の時に松岡恕庵の弟子になります。本草学を勉強しますけれども、この人はずっと医者になることもなく、あるいは藩に仕えることもなく、塾を経営していた。その塾には弟子が1000人とか言われておりますが、当時の文献を見ると「千」という言葉はよく使われまして、「千里」とか「千両」とか、多いという意味で「千」という言葉がよく使われていたみたいで、弟子が多かったということだと思います。

31歳の時に下坂美津下とともに『花彙』を表します。これは後から紹介しますように、非常によく有名な初めての植物図鑑です。

71歳になってやっと幕府から言われて教授するように、江戸へ入るわけですけれども、当時はおそらく50歳ぐらいが平均寿命で、71歳になって初めて幕府から御指名を受けて江戸に出て講義をするようになった。非常に長寿と言いますか、年をとってから、若い時は体があまり良くなかったそうですけれども元気になったみたいで、江戸に出ると講義もしますけれどもお供の人を連れて採薬に従事します。採薬というのは薬草を採取しに行くわけですけれども、日光とか箱根とか伊勢に出かけた記録が残っていまして、1日に40kmとか50km歩いたということが分かります。非常にこの頃は高邁で元気で盛んに薬草採取に出かけていたようであります。

75歳で『本草綱目啓蒙』、これは本草学の百科事典みたいなものを作るわけですけれども、これも非常に有名で現代訳語版が出ております。

この『花彙』の中に実はハマボウが載っているわけです。これが『花彙』の本の中身でありまして、左半分は図で、右半分に説明があるんですけれども、その左半分の図は葉の裏をこれは黒くしてるんですね。葉の表を白くして、立体的に表すためにこういった工夫をしておりまして、すべての絵をこうふうに黒と白で葉の裏を表しております。右側に説明があるんですけれども、ここではハマボウとありますけれども「黄木槿」、本草書ですので中国の該当する似た植物をここに漢名として挙げているわけです。今はこれは使われない別の植物みたいです。
次の人は水野忠成、この人は本草学者でも園芸家でもなくて大名なんですけれどもの、『錦葉集』という、葉っぱにこういう斑が入った、緑のところに白の斑が入った、これを非常に集めまして『錦葉集』という世界で初めての斑入りの植物図鑑を作ります。その中にここに「ハマボウ」とありますように、斑入りのハマボウを記載しております。これで「ハマボウ」と書いてあります。

「品は渡りゆえ寒気にいたむ」と書いてありますけれども、江戸で栽培するとやっぱり冬の寒さでちょっと萎れるというか、そういうことが分かります。非常に珍しい斑入りの植物図鑑にハマボウが紹介されておりまして、園芸化されていたということが分かります。

3番目の本草学者は岩崎灌園という人ですね。この人は江戸の生まれで若い頃から植物好きで小野蘭山の弟子。シーボルトが来た時に江戸で会っております。灌園というのはペンネームと言いますか、本名は違いまして、「庭に水を撒く」という意味で灌園という、植物が非常に好きで名前も変えてしまったわけです。『本草図譜』という、これ24年かけて全92冊の2000余種の植物をカラーで図にして、初めてのカラーの植物図鑑を作りました。1829年にシーボルトが標本を持って出かけて、そこで学名なんかを教えてもらっていますけれども、この『本草図譜』、このようなカラーの図鑑です。

ちょっと全体が黄色がかっていますけれども、ここには「ハマボウ」ではなくて「ハマボウト」書いてあります。あるいは「ほうの木」、これは伊勢では「ほうの木」と呼ばれていたらしいですね。あと漢名が書いてあります。こういう初めてカラーのハマボウの図がこの『本草図譜』に紹介されます。かなり今のものに近付いておりますけれども。

日本の本草学者に影響を与えてハマボウにも関わった人としてシーボルトがあげられます。シーボルトはドイツ人ですけれども、オランダ人として長崎に6年間滞在しまして、本業は植物学者ではありませんので本国のツッカリーニという人と共著で多くの新属新種を記載しております。

本国に帰ってからこの『日本植物誌(Flora Japonica)』という本を表しておりますけれども、これは日本の植物を全部網羅したわけではなくて、この中の本を見ると園芸植物とか観葉植物とか、綺麗な花を咲かせる植物とか栽培するに値する植物150種をここに記載しております。その中にハマボウが出てきているわけです。皆さんもご存知だと思いますが、これがそうであります。ハマボウでありまして、これ『Hibiscus hamabo』、シーボルト エツ ツッカリーニというふうに学名を付けまして初めて記載しました。ここに書いてありますように「日本ではこの植物がそこかしこで用いられているのである」と、あちこちで栽培されているということが書いてありまして、かなり江戸時代に江戸を中心に栽培されていたということが分かります。

これは本国に持ち帰った中国とか日本の植物をですね、自宅のところの温室を作りまして、ここでヨーロッパの気候に合うように日本庭園というのも作ってるんです。ここで繁殖させております。そして、ここで繁殖してそれをあまり知られてないんですけれども、販売していたんですね。大同におけるシーボルトの日本庭園で栽培された日本と中国の植物リストという説明付き目録、パンフレットというか、ちょっとリーフレットみたいなのが出来上がっておりまして、その中でいろいろな植物の値段がついておりまして、代表的なものをちょっと書き出してみましたけれども、ヤブツバキ3フラン、クスノキ2フラン、ハマボウ10フランですから、十分やっぱり高いですね、ハマボウはね。

しかしヨーロッパの気候には合わずに、この黒で示した植物だけがその頃からヨーロッパで栽培されて今日に至っております。ハマボウはやっぱり寒くて向こうでは成功しなかったですね。

シーボルトの影響を受けて段々日本の本草学も自然科学に近付いていくわけですけれども、その代表的な人は飯沼慾斎。この人は伊勢の生まれで独学で医者になりますけれども、28歳の時に医者をやめて、妻子を親戚に預けて自分自身は江戸に出て宇田川玄真の弟子となって蘭学や本草学を勉強します。また大垣に戻って医者をするわけですけれども、50歳で隠居してから植物の研究に没頭・邁進しまして、西洋の植物学を文献から学び学名を用いたような植物図鑑を参考に執筆して学名を用いるということをしていたわけで、完全に自然科学をやっているわけです。この人は『草木図説』という本を出しております。

この中にハマボウがこのように出てきておりまして、これは『花彙』と同じように左側に図、右側に説明をして、左側の図も裏表が分かるように立体的に、これは裏・表が黒くなっていますけれども、そういった『花彙』に影響を受けた黒白で立体感をあらわす図を描いております。こちらはかなり自然に近い描写をしていると思います。ハマボウそっくりであります。

ここにも学名をつけておりまして、『Hibiscus tiliaceus』という学名をつけております。これはオオハマボウの学名です。ハマボウは後年の学者によってオオハマボウの一種だというふうに言われた時代がありまして、その時の意見をそのまま取り入んだと思います。これ復刻版の印刷したものです。

江戸時代のハマボウの文献ではありませんけれども、一つ古いハマボウの伝説が実はありまして、千葉県安房郡和田町花園地区に、ここは花栽培の発祥の地として今でも千葉県の「花」をたくさん栽培している地域ですけれどもの、『農神由来記』という明治35年に書かれた掛け軸がここにこの神社に残っておりまして、この中身細かく書いてありますけれども、大体要約を書きますと「今からおよそ700年前の花園天皇の時代に1人の姫が船で漂着した。村人の介護も虚しくその姫は亡くなった。その墓に姫がさしてきた1本の木を挿した。村人はそれを花園の花の木と名付け、庭に植え伝えてきた。その地域の名を花園と改め、庭にハマボウを植えるのが花作り農家の始まりと言われている」ということがこう伝説で書かれて、確かにこれハマボウの黄色い花が描かれていまして、ハマボウの絵が描かれています。これはまあ、その頃にずっと伝わっていた物語を明治35年に書いたというわけであります。

「花園地区」という名前もその頃に変えられたと言われております。という不思議な伝説が残っておりまして、今でも花園地区のある素盞嗚神社にこういう庭に大きなハマボウがありましたし、古い農家の庭先にもハマボウが栽培されております。

次の話はハマボウの分類と分布生態の話です。写真は大村湾長崎県のオオムラワの入江に生えているハマボウです。満潮になると水に浸かってしまうようなところに生えております。

ハマボウの分類ですけれども、これはアオイ科のフヨウ属(Hibiscus)、英語読みですとハイビスカスになりますけれども、こういう学名が付けられておりまして、このフヨウ属、実は大きなグループでありまして、いくつかのグループに分かれます。それを「節」というグループの名前で呼んでいまして、大ハマボウ節にハマボウとかオオハマボウが入ります。そのほかフヨウ節とかムクゲ節とかブッソウゲ節、これが世界でいわゆる日本のハイビスカスと日本人が呼んでいる仲間、赤い色のいろんな色が出てきておりますけれども、基本的には赤色の花です。こういう節に分かれまして、こういうのもハイビスカスという学名についてますけれども、大ハマボウとかハマボウのグループとはちょっと違う特徴があるということで、こういう4つのグループの節に分けられております。大ハマボウ節に入ると言わけです。

これが花断面でありまして、少し普通の花と違っておりまして、まず萼の外側にもう1個萼があって「副萼」と呼ばれています。萼が二重にある。それから雄しべ雌しべが学校で習う雄しべ雌しべの関係でないですね。この雄しべの真ん中に貫ぬいて雌しべが入っております。断面ですね。雄しべの中を雌しべが通っている。で、枝分かれしたのが薬。これ柱頭ですね。これは柱頭ですね、これは薬ですね。こういうちょっと変わった構造、雄しべ雌しべが他の花とは違った構造をしております。これがヒビスカスの特徴であります。

これがオオハマボウとハマボウです。ちょっと光線の都合でハマボウが黄色っぽくなりすぎですけれども、非常に良く似ております。ただ花がちょっと大きい、直径10cmぐらいの花がありますね。こちらが大きいもので8cm、6cmから8cmくらいですから、少し小さい。それから花の中心が赤いですけれども、オオハマボウは黒紫褐色、黒紫色と言いますか、かなり黒紫色をしたそっくりです。葉っぱはちょっとこちらの方がやっぱり大きいですね。

どちらも朝咲いて夕方閉じる1日花でありますけれども、朝の咲き方がちょっと朝寝坊でありまして、割に朝寝坊でありまして、8時頃から咲き始めます。一斉に咲かないですね。よく観察してあると早く咲くのもあるし、遅く咲くのもある。そう一斉に咲かない。それから1日花と書いてありますけれども、6月・7月頃のたまたま温度が低い日がありまして、温度が低いとこれ萎れなくなって閉じずに翌日も咲きますね。最大2日ぐらい咲くことがあります。最近は暑いのですぐ1日でしょうけれども。

これはその中で白花のものを見つけまして天草で見つけまして、私が命名したんですけれども「シロバナハマボウ」と。これ花が終わると翌日ピンク色になりまして非常に綺麗ですね。普通のハマボウはオレンジ色になりますけれども、ピンク色になる。シロバナハマボウ。こういうのも稀にあるんですね。

これは野性のヒビスカス属の日本の分布ですけれども、オオハマボウは琉球列島から屋久島、種子島、小笠原、これがオオハマボウです。

サキシマフヨウというのは木で、これは九州の南端から九州の西部、五島列島まで分布している、これがサキシマフヨウ。それから小笠原にオオハマボウの変種と言いますか品種ですね、テリハハマボウというのがありまして、そしてハマボウはこのように一番南が奄美大島、そして済州島、あとは日本の三浦半島、千葉県あたりまで分布している、これがハマボウですね。ハマボウは暖温帯、他のものは大体熱帯・亜熱帯に分布しているということになります。ハマボウだけが暖温帯の植物です。

これはハマボウのオオハマボウ節の分布ですけれども、前は中国のものは別の名前で呼ばれていたんですけれども、最近はこれはオオハマボウ、主としてオオハマボウで変種になっていまして、オオハマボウはずっとアフリカ東南アジアそして太平洋、それから南北アメリカ、中アメリカに分布、世界的に分布している、主として世界的に分布している。

このところにテリハハマボウがあって、ハマボウは少しかなり暖温帯に分布している。分布的に見てもオオハマボウ節の中では一番北に分布している種類だということが分かります。

こういう塩湿地に分布する植物としては、低木としては熱帯から亜熱帯にマングローブというのは知られております。マングローブは分類学的な名前でなくて、こういう生態的なグループ、塩湿地に生育する低木あるいは高木で、このように板根とか支柱根、呼吸根、胎生種子なんかが見られるものをマングローブと言って、いろんな種類がありますけれども、これ熱帯・亜熱帯に限られるんですけれども、ハマボウは暖温帯に分布して、ちょっと良く似ている、景観的には似ているけれども気根とかそういうものは胎生種子は作らない。前、先ほど言いました「半マングローブ」ということですね。これとよく似た植物が実はハマジンチョウでありまして、これは天草とか五島にありますけれども、これも塩湿地に生える低木であります。ハマボウと同じように生えております。これも半マングローブ植物と言われております。

ここに地形の論文を書きましたけれども、ハマボウの生育立地を大きく分けると5つありまして、一つは内湾の岸。内湾でもやっぱり波の影響を受けますので、ハマボウが生えるところはこの礫の海岸で、前にハマゴウという良く似た名前ですけれどもハマゴウという植物が生えてその内側にハマボウが生える。これ内湾の海岸、タブとかシイが生えている。入り江になりますと波が静かになりますので、塩生植物という草本植物が入りまして、そこに天草とか五島ですとハマジンチョウが生えてその後にハマボウが生えます。九州では本州では内湾の前に塩生植物があって、あとにハマボウが生えると、こうなっております。それから河口はちょっと流れがありますので塩生植物が、波が流れが弱いところは生えますけれども、普通はハマボウ一種の純林が広範囲にわたって群落をつくります。それから海水湖、これは元湖だったのが海と繋がった、あ、逆ですね、元湾だったのが湖になったのが海水湖ですね。それヨシなどが生えていてハマボウが生えると。それから高潮湿地と呼んでますけれども、ラグーンという潮が食い込んで入っていたような湿地、低湿地にはこう少し高まったところにハマボウが生えていると。こういうふうに大きく分けると5つの生育立地があります。

で、この生育立地をとっておいて、その縦軸に群落の大きさをとってあります。数値は産地の数を示します。全部で156個の産地を地形と海岸地形と合わせますと、内湾に入るようなものが結構小さなものが多くて、短片群落と言いますか、10株以下のものは大抵内湾に入っていて、大きな群落、大群落になるようなものは河口付近に限られるということが分かると思います。このように地形と群落の大きさちょっと関係があると言えます。

これは群落の大きさと分布をとってあったわけです。3番は100株以上の群落。これは福岡の泉川のところと、あと天草とか九州の鹿児島の西海岸にあります。大分にあります。徳島県だとか、三重県、和歌山県に100株以上の群落が見られます。兵庫県の淡路島にもあります。あとは50株以上、それから下は10株以下、10株以上ですか、群落を作っているのはこういうふうに、九州の西、東、それから高知県は大きな群落がないんですね。やっぱり紀伊半島の三重県側ですね、こういったところに大きな群落が見られる。ちょっと偏っていると思います。やっぱり直接外洋に面したところというのは波の影響で大きな群落があまり見られないですね。

それを県別に取ったものがこれでありまして、1000株以上、1000株以上見られるところは福岡県と熊本県、鹿児島県、あと和歌山県、三重県に1000株以上見られます。500株以上は長崎とか愛媛県とか静岡県ですかね、こういったところに500株以上見られます。白丸は無いところです。こういうふうに県によってちょっと偏っているということが言えます。

次にハマボウの繁殖生態の話をいたします。ちょっとこっから話が難しくなるかもしれませんけれども。

これは古いデータですけれども、ハマボウの季節を7月、8月ってやって1本の木に限って1日おきに花の数をどれだけ咲かせたかということを調べたものです。2001年では7月から7月の15日過ぎにピークを迎えて8月に入ると段々少なくなって、8月になるとちょこちょこっと、1次・2次咲きますけれども、あとの花は終わり。2002年はちょっと春が早い年になりました。温かい春だった。そうすると早く咲き始めまして、6月の終わり頃から咲き始めて、6月、7月の15日頃にピークが来まして、もう早く花も終わると。ちょうどこのパターンは同じで、前にずれただけですね。こう大体1ヶ月ちょっと咲くと。

最近は段々温暖化で春が早く来ますので、こういうパターンばかりですね。今年6月のアタマ、20日頃から咲き始めましてですね、もう今ちょうどピークぐらいだと思います。10日頃がピークで、段々7月の終わり頃になると少なくなっていく、こういうパターンを示します。これが開花季節であります。

これは今度は種子の落下する季節を調べた。ハマボウの下にネットを張りまして、そこに何個種子が落下するかということを調べるわけです。10月、12月、2月、4月、6月ですけれども、ちょうどハマボウは上を向いて果実が開きますので、果実を開くとたくさん種子が落下します。それが10月、11月頃に落下する。

ところが果実は上を向いてますので、少しは残っておりまして、風が吹くたびに落下しますので、長い期間かけて落下します。そして、この6月頃、翌年の6月頃になると果実も落下してしまってなくなると。長期間にわたって落下するという、そういう性質があります。これ多分遠くに分布するためには長期間落下するのが、一度に落下するよりも成功率が高くなるんじゃないかという気がします。

これは大ハマボウ節、アザンザ節の色の比較ですけれども、ハマボウは暖温帯ですが、他のものは亜熱帯・熱帯、それからテリハハマボウは小笠原ですので亜熱帯ですね。

花時期は、まあ7月、8月1ヶ月位なんですけれども、前にも出ましたけれども、オオハマボウはちょっと6月から始まってちょっと長い。熱帯に行きますと年中咲いてます。テリハハマボウも年中だらだら咲いています。

それから花弁の長さを見ますと、オオハマボウは大きいですけれどもハマボウは小さい。テリハハマボウはその中間ということです。

薬と柱頭の距離、これどういう意味があるかというと、薬の花粉が柱頭の、これ雌しべの一番先端なんですけれども、雌しべにくっつきますので、それが短いということは自家受粉しやすい。オオハマボウはかなり離れていますので自家受粉しにくい。ハマボウもちょっと自家受粉しにくいというふうに、ハマボウは他のものと違った性質があるということです。

で、これをですね、ハマボウの繁殖生態を調べるために受粉実験をしております。ちょっと話が難しくなりますけれども、自動自家受粉というのは自分自身で自家受粉できるかどうかということで、つぼみの時に袋をかけておきます。そうして受粉すれば自分自身で自家受粉したということです。自由受粉は袋をかけずにそのまましておきます。そうすると昆虫が花粉を運んできて自由に受粉すると。人工自家受粉は人間がその花の花粉をつけてやって、すぐに袋をかけてやる。人間が自家受粉してやる。人工他家受粉というのは、人間が他の花の花粉を取ってきて、他の株の花粉取ってきてそこに受粉させてやって袋をかけてやる。こういったものを比較することによって、その性質が分かってくるわけですね。まあ、この中で結実率、種子ができた割合がどういうふうになっているか見てみましょう。

この黒い棒グラフが結実率、種子ができた割合です。自家受粉、自動自家受粉は25%くらいしか種子ができない。人工的に自動自家受粉させてやっても45%くらいしか結実しない。一応ハマボウは自家受粉でも子孫を残せるけれども、やっぱり他家受粉の方がいいわけです。

まあ、これはエンドウなんかは自動自家受粉で100%できますけれども、普通のアサガオも大体できますけれども、オオハマボウは自家受粉だと種子はできるけれども他家受粉の方がいいという、そういうことが言えると思います。まあ、これも他のオオハマボウ、サキシマハマボウと比較したのがありますけれども、それは省略して、結果だけを書きますと、近縁種との比較。

ハマボウは花が小さい、開花期間が短い、薬と柱頭の距離が短い、自家受粉しやすい、潜在的に結実率が高いということで暖温帯に適応した繁殖生態をしていると考えられるということが、結果として言えると思います。ちょっと途中省きましたので分かりにくいと思いますけれども、オオハマボウは熱帯を起点とするような性質を持ってますので、それを暖温帯に適応した繁殖生態をしているということが言えると思います。

次はハマボウの地理的変異と個体群多樣性と。

ここではこういろいろ書いてますけれども、要するにハマボウは地域によっても個体群によっても形態に違いがあるというお話です。

これは長崎県の大村湾で研究したわけですけれども、大村湾は変わった湾でありまして、ここ、ここだけで海と繋がっている、非常に閉鎖された湾でありまして、今から9000年前までは湖だったんですね。9000年前に海と繋がったというところです。その時にオオハマボウ、ハマボウも海岸植物と同じように他の海岸植物と同じように入ってきたと思います。ですから、こちらの外海側とこの大村湾側とでは9000年近く隔離されているということが言えると思いますので、そこでこちらの個体群とこちらの個(個体群)ですね、こちらの個体群とで調べたわけです。形態を調べた。

大村湾で5つの個体群、外海側で4つの個体群、合計9個体群を調べてみました。1個体群あたり5株を選定して1株あたり30個の花について10の形質を測定した。非常に気の遠くなるような話で、1350個の花についてそれぞれ10個の形質を測定したというわけです。まあ、難しくなりますので、これちょっと省略して簡単にしていきます。10個の形質というのは、これだけ花弁の花弁の大きさだとか、線の構造だとか、果実の大きさだとか、配子の数とか10個の形質について、今の1350個の個体について調べて解析したわけです。

そうすると、黒が外海側、白が大村湾側ですけれども、花のお大きさ、花弁の長さはやっぱり外海側が大きくて、内湾側が小さいということが分かります。

これは花構造ですけれども、薬柱頭距離なんかを見ますと内湾側が薬柱頭距離が長い、外海側は薬柱頭距離が短いということが分かったり。

果実の大きさも外海側が大きくて内湾側は小さいというふうに分かります。

で、これが10個の形質について、それぞれ違いが出て統計的な処理をして違いが生じているということが分かりました。

で、結局大村湾は内湾で穏やかな環境ですので、昆虫が多く訪れる。花を小さくしてもいいし、薬薬距離を短くしても花にくっつきやすい。結実率が内湾側が高い。胚珠数を少しに自家受粉を避けるために薬柱頭距離を長くした。結実率が高いので自家受粉しなくてもいい。こういうことが言えるんじゃないかと思います。

まあ、結局難しい話ですけれども、ハマボウはあちこち色んな群落がありますけれども、群落によって特徴があるということが言えると思います。細かく見ると1株1株みんな違っておりまして。

こっからはちょっとスライドを中心ですけれども、ハマボウを取り巻く生態系としまして、いろんな昆虫が飛んできますけれども、最も多い昆虫はモンキアゲハ、色んなアゲハがやってきます。モンキアゲハやキアゲハ。アオスジアゲハはやってきませんけれども。普通のアゲハというのは人間と比べて波長が視覚が短方にずれてますので、紫外線の外のアサガオ、紫の外の紫外線は昆虫は見えますけれども人間は見えません。しかし波長が長い赤は普通昆虫見えません。しかしモンキアゲハだけは人間と同じような波長が見えまして赤が最も目立って移動しているわけです。このハマボウの真ん中の中心の赤い色、これはネクターガイド、蜜標、ここに蜜がありますよということをこのアゲハの仲間に知らせていると思われます。ですからアゲハが良く飛んできます。

それと同時に蛾の仲間もここに産卵をして、果実の中に産卵をするんだと思いますけれども、果実が出来た頃に幼虫が孵化してその種子を食べてしまう。色んな蛾類、ワタノメイガ、ゴマダラメイガ、シロオビメイガなどがここに種子を付けます。まあ、一種の寄生です。

それからこれハマボウを食害するアオドーガ。コハナバチの仲間が葉っぱも食べますし果実も食害します。

ハマボウはいろんな昆虫が集まる目立った花になる。黄色と赤でよく目立つわけですね。様々な昆虫が来ます。それから防御の方法を持たない。ハマボウは毒でないんですね。ですから食害されやすい。花や葉を食害されたり果実を食害されたり、アリが蜜を盗みに来ます。蜜腺食害と言ってますけれども。この葉の裏を見るとこのようにですね、蜜腺がどうも生えいている場合、蜜が出ている場合があります。これを舐めに来る。それから花びらが落下しますと、そこにアシハラガニが来てそれを巣へ運んでどうも食べているらしいんですね。このようにですね、ハマボウを中心としていろんな昆虫や動物がそこに住んでいるわけで、ハマボウを中心とした一つの生態系が出来上がっていると考えられます。

最後に各地のハマボウと保全活動、写真を中心にして流していくだけにします。

これは1984年代におけるハマボウの府県別過去30年間の減少率を表しておりまして、ちょうどまあ日本が高度成長期に当たった時に、河川の改修だとか埋め立てが盛んに行われましたので、広島県や岡山県とか大阪府、千葉県では100%減少しました。消滅しました。3番は50%以上、福岡も50%以上減少しました、この頃から比べると。兵庫県とか静岡県も50%以上群落は少なくなっております。どこ県でもやっぱり少しは減少しているということが分かります。全国的にハマボウは1980年代頃までにはかなり少なくなった、昔のどこでも見られたというわけです。

これはレッドデータブック絶滅危惧種を表したレッドデータブックですけれども、その取り扱いの県ですけれども、これ絶滅した種類、岡山県とか大阪府は絶滅したとか、これは絶滅危惧1類という兵庫県とか高知県、絶滅危惧1類、静岡県、愛知県、福岡県は2類ですかね、そういうふうになっております。

これは年代別の天然記念物指定の件数の変化ですけれども、横軸に年代をとってあって件数をとってあります。比較のためにハマユウを出しましたけれども、ハマユウは戦後50年代ぐらいによく天然記念物に指定されましたけれども、ハマボウはかなり遅れて指定されております。まあ、ハマボウはあまり価値のある植物と思われてなかったんですけれども、段々非常にあちこちで埋め立てでなくなって1980年代になってやっとハマボウが価値のあるものだということが分かってきたらしくて指定されるようになったということです。

これは日本海側の北限である対馬の群落で、佐護の対馬の1番北ですけれども、60株ぐらいあったんですけれども、全部なくなってしまいました。

これは長崎県の琴海、長与町の隣川にある2000年代にはこのように群落があったんですけれども、この電池がこの電池です。河川改修でこれなくなります。

これは例の伊勢川の群落ですけれども、工事の道路が真ん中に、群落の真ん中に通りまして、こうふうに分断されてしまいました。伊勢川ではこのようにですね、何とかして取り戻そうという保護活動をしまして、「はまぼう21フェスタ」というのを開いております。大型店の出店に対して地元商工会が商業振興会をとってポイントカード、ハマボウカードというのを作っております。これがそのイベントですね、「はまぼう21フェスタ」というイベント、こういうこともやっておりました、音頭をやったりしていました。

これは2007年に鹿児島県の万之瀬川のハマボウが国の指定の群落になりました。非常に大きな群落で、これが群落の立て看板ですけれども、長さは1km、幅は100mぐらいある。これが国の指定の天然記念物になりました。天然記念物指定の名称がハマボウだけでなく「万之瀬川河口域のハマボウ群落及び干潟生物群集」という名前で天然記念物になっております。

これはかなり昔の話ですけれども、静岡県南伊豆町の青野川に昔1000株以上の群落があったんですけれども、集中豪雨があったり東海地域地震の津波対策で河川の掘削工事が行われまして、ハマボウが全部消滅することになりまして、全部消滅するのはもったいないということで、その上流の方にこう移植をしたところです。これたぶん今こんな風になっております。静岡県はこうふうに河川工事でずいぶん少なくなりました。これもそうです。これは静岡県の福田町、今は市町村合併して名前が変わりましたけれども、ここにわざわざハマボウ公園というのを作りまして、ここにハマボウを移植しております、全部ハマボウ移植して。ここに花が咲くと上から眺められるように展望台もつけておりまして、ここは非常に盛んにハマボウのこうパンフレットを作って「ハマボウの町」なんかのイベントを開いたりしております。それから「町の木」に指定したりですね。ハマボウ公園が整備されたばかりではなくハマボウバスとか町立公園住宅がハマボウ住宅、メーカーハマボウとかですね、キャラクター「ハマボウくん」とか一時期非常に盛んに、町を挙げて町をあげてハマボウの保全に取り組んでおります。

これは同じく静岡県の下田市、ここもかなり前から天然記念物、ハマボウの天然記念物がありまして、吉佐美地区はボードウォークを見学のために作りまして、その時にボードウォークのパンフレットが出来ました。ハマボウの咲く時にこのボードウォークで散策見学するようにしております。

これは西海市、長崎県の西海市の国道沿いに出来た立て看板ですけれども、2009年に「市の木」に指定されましたので大きな看板を作ってハマボウを宣伝しております。これは2012年ハマボウサミットが西海市で行われました。

これは和歌山県の御坊市の王子川のハマボウ群落で、ここは古く1960年代ぐらいですかね、ハマボウの天然記念物になっております。古い時代に指定された。マンホールの蓋にハマボウがデザインされております。

これは2013年の天草の親和町のハマボウ祭り。こういうふうにハマボウ祭りを、いろんなテントで土産物を売ったりして、これがボードウォークを作っていただきました。向こうの国道沿いで非常に歩道が狭くてここを見学するのは危ないもんですから、ボードウォークを作るように提案しまして、ちゃんと聞き入れてくれまして、ここで見学するようになっております。

これは韓国済州島にハマボウの群落を調べに行った時ですけれども、ハマボウの群落はすべて保護地区に指定されておりまして、ここに立派な看板が、これハマボウです。これ別のところですけれどもやっぱりハマボウはこう立て看板、保全のための立て看板が出来て保全地区になっております。

最後に私あの、長崎県亜熱帯植物園というのが前ありまして名誉園長をしておりました。その時に私提案しまして、こういうハマボウ展を開いたことがあります。いろんなハマボウ6つをですね、こう並べてハマボウ展を開いたことがあります。これがその様子です。ハマボウって言っても、あのアロハシャツ、ハマボウの柄のTシャツとか、あのショッピングバッグだとか。

最後にまとめとして、ハマボウの群落はなぜ貴重なのかと。生育地の開墾や内湾埋め立てや護岸工事で減少している、あるいは減少していたと。ハマボウは近縁種の中で最も北に分布する植物であると。半マングローブ植物として世界で最も北に分布する植物である。多くの生物と一緒に特異な生態系を形成している。こういうことでハマボウの群落は非常に貴重だと思います。

はい、以上でお話し終わります。(拍手)