江戸時代の泉川は、可也山から切り出した石を運ぶ港湾でした。石垣による整備は江戸から明治にかけて行われ、まさに水運の要ともいえる場所でした。
また、明治時代は大規模な港湾建設の候補地でもあり、戦時中は航空機の訓練基地でもあり、今ののどかな農村地帯はさまざまな歴史を歩んできました。
今回は、今に残る古地図の記録を頼りに、泉川の歴史をたどっていきます。
実施概要
実施日
2025年11月8日(土)10:30~15:30
集合
JR筑肥線 加布里駅
参加費
無料
実施結果
参加人数
8名
スタッフ:3名
実施レポート
前回開催した大石地区のイベントでは、泉川のハマボウ観察に加え、郷土史の解説を行いました。今回は、泉川周辺の歴史をより深く知るため、泉川干拓の歴史をたどるツアーを開催しました。
資料として、伊都国歴史博物館様より提供していただいた「いとしま学『干拓』部分抜粋」「志摩町誌『干拓』部分抜粋」「志摩町誌付録『記録や伝承による干拓の歴史』」及び、九大コレクション「筑前名所図会」、国立国会図書館「日本分国図 筑前」「天保国絵図 筑前国」を組み入れたガイドブックを作成しました。
釜塚古墳・伊都国宮地嶽神社
釜塚古墳は、北部九州最大級の円墳で、5世頃に造成されました。訪問時はきれいに除草されており、丁寧な管理が行き届いていました。
歩いてすぐのところに伊都国宮地嶽神社の鳥居があり、この2つのポイントで古代の糸島の地理的な特徴と、交易都市としての重要性を解説しました。
仙厓歌碑
千早新田を干拓した際に記念として建立された碑です。博多にある臨済宗の聖福寺から仙厓和尚が来てお祝いをしたとされています。
臨済宗は糸島市内に多くある寺院のひとつで干拓にも深く関わってきました。歌碑手前の道路は一直線に伸びており、干拓の痕跡が確認できます。
ここでは、糸島と臨済宗の簡単な解説を行いました。
千早新田石垣跡
初期の干拓事業は浅瀬に土砂で埋め立てる簡単なものでしたが、その後築堤して内側の水を排出する本来の意味での干拓が行われました。
千早新田の北西には一部石垣の跡が残されており、あちこちから集められた石が散見され、当時の石が資材として重要だったことがうかがえます。